敷山城跡は、防府市牟礼の北西にそびえる矢筈ヶ岳(やはずがだけ)(標高460m)の南西8合目付近に位置し、西暦1571年(元亀2年)まで敷山験観寺(けんかんじ)が建っていたところです。
鎌倉幕府滅亡後、足利尊氏が後醍醐天皇の建武の新政に反対して挙兵し、戦いとなる中、天皇方についた周防国府の役人小目代清尊(こもくだいせいそん)、検非違使教乗(けびいしきょうじょう)らは尊氏に敵対し、験観寺を城として立てこもりました。しかし、尊氏が差し向けた軍勢により、同年陥落しました。
現在、清尊らが立てこもった本堂の礎石や数カ所の坊跡、梵字岩(ぼんじいわ)などが残っており、毎年8月2日(旧暦の7月4日)には、地元の保存会による慰霊祭が行われています。