日程
御発輦・・・午後6時~
御帰還・・・午後9時頃
起源
御神幸祭(ごじんこうさい)
西暦903年(延喜3年 平安時代)、菅原道真公は「無実の罪」によりに左遷された太宰府の地で薨去されました。
それからおよそ100年を経た西暦1004年(寛弘元年 平安時代)、時の一条天皇より勅使が菅原道真公最後の寄港地、防府天満宮に使わされ、勅使降祭(お御霊を慰める祭典)が斎行され、初めて天皇から「無実の罪」が奏上されました。
防府天満宮 御神幸祭はこの勅使降祭を起源とし、道真公に「無実の知らせ」を伝えるお祭りとして連綿と受け継がれており、崇敬の源となる最も重要な神事です。
裸坊祭(はだかぼうまつり)
御神幸祭は創始以来、大行司・小行司や限られた家柄の者だけに奉仕が許されましたが、江戸時代後期の天神信仰の高まりと共に、一般民衆も奉仕を熱望するようになり、身の潔白を示すことで供奉を許さようになりました。
そこで民衆は潔白の証として佐波川の冷水で身を清め、そのままの姿で奉仕しました。
その姿から裸坊と呼ばれるようになり、御神幸祭のことを裸坊祭とも称するようになりました。
お祭り
毎年11月の第4土曜日、18時に防府天満宮の拝殿正面の扉が開かれると、数百人の裸坊が一斉に拝殿になだれ込み、「兄弟わっしょい」の掛声と共に、境内は一気に熱気を帯びます。
先頭神輿、第一神輿と次々に神輿が担ぎ出され、それを千人もの裸坊が囲みます。
次いで地響きを立てながら、重さ500kgの御網代輿(おあじろこし)が拝殿の階段を下り、参拝者の見守るなか、天満宮正面の大石段を滑り降ります。
喚声と怒号、およそ5,000人の裸坊が乱舞する様は壮絶の一言に尽きます。
その後、御網代輿は台車に仕立てられ、御神幸の行列に加わり、天満宮より約2.5kmはなれた勝間浦(かつまのうら)のお旅所(浜殿)に到着。
浜殿神事が執り行われ、勅使降祭の故事にならって「無実の罪」を奏上し、道真公のお神霊を慰めます。
神事終了後、行列は再びほうふ市内を経て、午後9時ごろご帰還され、瑞々しく若返った道真公のお神霊を御神座にお遷しします。
御神幸祭を終えた御網代輿は回廊内に奉安されます。
参拝者はこの御網代輿の下をくぐる『御網代くぐり』により、天神様のご加護がいただけるとされています。
御神幸祭の執り行われる2日間、ほうふの街中は約15万人の参拝者で溢れます。
防府天満宮御神幸祭はほうふを代表するお祭りであり、西日本屈指の荒祭としても知られています。
公式ウェブサイト:防府天満宮