三田尻御舟倉跡(国指定史跡萩往還関連遺跡)

毛利水軍の根拠地

『御舟倉』とは、藩主が乗る御座船などがあった、毛利水軍御船手組の根拠地のことです。 萩城築城開始の西暦1611年(慶長16年)、萩往還の整備にともない御舟倉が下松から三田尻に移され、周囲には造船や修理のための施設が設けられました。しかし、江戸時代半ばからは陸路での参勤交代が多くなり、周囲の干拓も進み、御舟倉と海は水路で繋がる形になりました。西暦1863年(文久3年)11月に藩は、三田尻御舟倉を廃止し、この地に海軍局を設置しました。 現在は水路や通堀の一部を残すのみとなっていますが、警固町や局ノ内等の地名に往時をしのぶことができます。 お問い合わせは、[電話]0835-25-2148(防府観光コンベンション協会)へお願いします。

基本情報

写真:三田尻御舟倉跡(国指定史跡萩往還関連遺跡)1
写真:三田尻御舟倉跡(国指定史跡萩往還関連遺跡)2