周防国府は、大化改新後、飛鳥時代から奈良時代に全国60余りの国に設置された国府の一つです。
市名である「防府」は「周防国府(周防府中)」に由来するもので、市内には、「国衙」、「多々良」、「牟礼」、「勝間」など国府が設置された古代から残る地名、奈良・平城京を思わせる碁盤目状の土地の区割りなど、往時の姿を現在に残しています。
また、多くの国府が衰退した中で、周防国府は1186年(文治2年)以後、明治初年までの大部分の期間東大寺の管轄だったこともあり、古文書が数多く残っています。
これらから、全国の国府跡の中でもっとも早く1937年(昭和12年)に「周防国衙跡」として、平城京のような碁盤目状の四隅、国庁跡(推定)、土居、港の跡などが国の史跡に指定されました。
国庁推定地に江戸時代置かれた国庁寺は、1871年(明治4年)に廃寺となり、建物は解体され、本尊釈迦如来坐像、惣門(瓦葺・高麗門)などが東大寺別院阿弥陀寺に移されました。現在は史跡公園として整備され、多々良山を背景とした往時の雰囲気を楽しむことができます。
これまでの発掘調査では、飛鳥時代から室町時代の建物や生活用具などが見つかり、国衙・多々良・岩畠・牟礼・勝間など一帯に様々な施設があったことが分かっています。古代から中世まで存続する全国でも珍しい国府(国衙)で、その調査・研究の成果は、防府市文化財郷土資料館で見ることができます。