『御舟倉』とは、藩主が乗る御座船などがあった、毛利水軍御船手組の根拠地のことです。
萩城築城開始の1611年(慶長16年)、萩往還の整備にともない御舟倉が下松から三田尻に移され、周囲には造船や修理のための施設が設けられました。しかし、江戸時代半ばからは陸路での参勤交代が多くなり、周囲の干拓も進み、御舟倉と海は水路で繋がる形になりました。1863年(文久3年)11月に藩は、三田尻御舟倉を廃止し、この地に海軍局を設置しました。
現在は水路や通堀の一部を残すのみとなっていますが、警固町や局ノ内等の地名に往時をしのぶことができます。
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