萩往還は、毛利氏の城下町である山陰の萩と瀬戸内に面する三田尻とを結ぶ街道で、江戸への参勤交代の「御成道」として整備された重要な交通路でした。約53㎞の街道を、沿道に残る数々の史跡を楽しみながら、幕末の志士たちが往来した当時とほぼ同じ道のりで歩くことができます。
防府にあるのは、鯖山峠にある吉敷郡・佐波郡の郡境碑から、萩往還終始点の三田尻御茶屋までの約8㎞です。
郡境の鯖山峠から下り、佐波川を越えて東に折れると近世山陽道の宮市宿です。ここは、防府天満宮の宮前に発展したまちで、宮市宿の本陣を務めた兄部家跡が、山頭火ふるさと館の隣にあります。宮市のまちなみを南に折れて天満宮の参道を下っていくと、前方部と後円部のそれぞれに石室がある県内唯一の古墳である車塚古墳のそばを通って、三田尻に至ります。
三田尻御茶屋(英雲荘)は参勤交代などの休憩所や迎賓館として使われた公館です。当時の姿を現在によく伝えており、庭園や建物内部を見学できます。御茶屋の東には三田尻御舟倉跡があります。長州藩の水軍の拠点で、現在は最奥の水路など一部を残すのみですが、かつては周辺に造船や修理のための施設が設けられていました。御舟倉と海とをつなぐ入川の入口だった場所には石造りの灯台が残っています。また御茶屋の南西には幕末の志士たちとも親交のあった野村望東尼終焉の宅跡など、三田尻の古いまちなみが連なります。